”聖徳太子御生誕所の橘寺” &”二面石” in 明日香村



   長~いシリーズになってしまった明日香村のぶら散歩もやっと・・・あすか(あした)・・・終わります(自爆)
   失礼しましたm(__)m 
   さむ~~~い、オヤジギャグで風邪を引きませんように



   橘寺(たちばなでら)は正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子如意輪観音です
   橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を常世の国へ取りに行った田道間守(たじまもり)が
   持ち帰った橘の実を植えたことに由来するといわれます

   聖徳太子誕生の地に太子自身が創建とされる橘寺
   ここに橘の宮という欽明天皇の別宮が建てられて、太子はここで生まれ、子供頃を過ごしていました
   ほとんどの建物は火事で消失してしまい、現存するものは、江戸時代に徐々に再建されたようです

     その聖徳太子ですが、当時は「厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)」が正しい呼び名です
   父は用明天皇でその第二皇子でした
     聖徳太子は、お札なったり、逸話などで余りにも有名ですが、それは後世の諡(し、おくりな)です
   諡とは、主に帝王・などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことです
   諡の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味します 

  では、厩戸皇子聖徳太子)のお墓はというと
  現在の大阪府南河内郡太子町にある叡福寺の中にある叡福寺北古墳と言われています
  宮内庁聖徳太子墓所と比定しています
  ミステリーなことに生誕地の橘寺、太子が建立した斑鳩寺、叡福寺が一直線に並んでいるそうです



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現在の橘寺の全景
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「橘寺(たちばなでら)」
※橘寺はHPを持っていません


「西門」
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「手水舎」・・・奥はトイレです
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「写経塔」
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親鸞聖人像」
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「本堂(太子堂)」
元治元年(1864年)に再建された建物で、本尊として聖徳太子坐像が安置されています
安置されている本尊は聖徳太子35歳の像(重文)で太子の彫刻としては最も古いものです
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聖徳太子の愛馬の黒駒」
聖徳太子を乗せて全国を駆け巡ったと伝えられる馬です
甲斐の国の馬ですが、こんなに首、脚長くないし、もっと力強く筋肉隆々なんですが・・・???
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「二面石(にめんいし)」
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「善人顔」
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「悪人顔」
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「蓮華塚(れんげづか)」
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護摩堂」
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「経堂」
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観音堂
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「水神様」
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「方生池」
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二面石に隠れ目立ちませんが、聖徳太子ゆかりの池と奇岩があります

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「三光石(さんこうせき)」
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「阿字池(あじがいけ)
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「鐘楼」
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「中門跡」
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「本坊」
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「東門」
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