”飛鳥寺”&”蘇我入鹿の首塚” in 明日香村


       今日から明日に掛けて、台風が北上と共に東京、千葉辺りは上陸の怖れが出て来ました
       東海地方も300mの降雨があるとの予報で大雨の2日間になりそうですね
       皆さまも台風には万全の態勢で、お気を付け下さいませ


       昨日、村国座子供歌舞伎の演者の親御さんから、記事のところにコメントが入っていました
       「ダメですよ、子どもの顔を載せちゃあ」という、ご指摘かと思ったら、諸事情などで写真が
       撮れないので、撮った写真のデータが欲しいとのことでした
       子どもさんの写真を載せることは躊躇するところだったので、ホッとしました
       元々、写真を撮る時には人を出来るだけ外して、チャンスを待って撮っている人なのですが、
       今回は人が主役なので止む得ません

        白雲座の時は観たお礼に送る心算でSDメモリーカードを保存していたのですが、今回は
       タイミング悪く、次の写真を撮るために削除していました(苦笑)
       自分の行動記録と日記代わりのこのブログに載せるためだけに撮っているに過ぎないので、
       普段はよっぽど残したいと思うもの以外は1枚のSDを何回かは削除しての使い回しです

       ご要望に応えるためにパソコンから写真をUSBにコピーして、明日にも送付することにしました
       住所、氏名を聞くのも何なので、ネットで調べ近くの市役所の支所に「村国座親御様」宛で・・・
       自分は名前はフルネームにしますが、住所は市だけにしてね
       そうして、喜んで貰えるだけで、自分は幸せな気持ちになれる単純な人なんで(笑)


       話しを今日のタイトルに戻して・・・
       飛鳥寺は、明日香村に観光に行かれた人は必ず寄ると言われるお寺です
       前回の万葉文化館や蘇我入鹿首塚、酒船石等が近くにあることも要因かも知れません

       6世紀末から7世紀初めに蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の本格的仏教寺院です
       創建時の伽藍は失われ、塔や金堂の礎石だけが残っています
       本尊である銅造釈迦如来坐像(重要文化財)は「飛鳥大仏」の通称で親しまれています


                              「飛鳥寺(あすかでら」 
                       ※HPは準備中のままなので他のものです
                                          http://www.kasugano.com/kankou/asuka/index6.html

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「飛鳥大仏」の石碑は、寛政4年(1792年)のものです
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       現・本堂は江戸末期の文政8年(1825年)に大坂の篤志家の援助で再建されたもので、
       創建当時の壮大な伽藍の面影はありません
       発掘調査の結果、現在の飛鳥寺本堂の建つ場所は正しく馬子の建てた飛鳥寺中金堂の
       跡地であり、本尊の釈迦如来像(飛鳥大仏)は補修が甚だしいが飛鳥時代と同じ場所に
       安置されていることが分かったそうです
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もう、3回本堂には入っているので、今回は入りませんでした
本堂内では説明付きで、飛鳥大仏(釈迦如来)さまの撮影も出来ます
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     実は、都が平城京へ移るとともに飛鳥寺も現在の奈良市に移転し元興寺となりました
     蘇我馬子が飛鳥に建てたこの元の寺も存続し、本元興寺と称されたが、建久7年(1196年)に
     雷火で塔と金堂を焼失後、寺勢は衰えたそうです
     文安4年(1447年)時点で、飛鳥寺の本尊は露坐であり、江戸時代にも仮堂一宇があるのみで
     あったそうです
                                                              「元興寺(がんごうじ)」
                    http://www.gangoji.or.jp/tera/jap/link/link.html 

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蘇我入鹿(そが の いるか)の首塚

正面に見えるのが甘樫丘(あまかしのおか)の丘陵地
大化の改新以前には蘇我蝦夷蘇我入鹿の親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという

「甘樫丘に関するニュース(朝日新聞から)」

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              この場所は、元は下記にあるように飛鳥寺の西門があった場所で、
              この首塚は江戸時代にここに移転したと考えられています
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正面に見るのが、飛鳥寺です
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明日香村は開発などの規制があるので、のどかな田園風景が広がります
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古代飛鳥時代に舞い降りたような、時空の旅人になれます
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