古代への誘い(いざない)~飛鳥路のシンボル~”石舞台古墳”



     多分、別記事を挟みながら2週間位、古代の世界・明日香村が続くと思います
     昨夜8時からの「歴史秘話ヒストリア」で”聖徳太子の棺~伝説のその先に”をやっていました
     明日香村は少ししか出ませんでしたが、行ったばかりのところが話題になるのは面白いですね


     今日は飛鳥を代表とする史跡の一つ、「石舞台古墳
     もう、教科書の世界ですね(笑)
     6世紀の築造で、巨石30個を積み上げて造られた石室古墳、その規模は日本最大級を誇ります
     盛土が失われて、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれています
     この巨大古墳が誰の墓なのかは未だに不明ですが、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、
     馬子の墓ではないかとの説が有力です
     また、石室が露出しているのは、曽我馬子の横暴な態度に反発した後世の人が封土を取り除いた
     ためともいわれています(1つの説)




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石舞台古墳の造り方(推定)は下記を拡大して見て下さい

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30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トン
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古墳時代後期の古墳で、国の特別史跡に指定されています
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「羨道(えんどう/慣習的に せんどう ともいう)」は長さ約11m、幅2.5mの規模を有します
※羨道とは、古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部とを結ぶ通路部分をいう
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「玄室(げんしつ)」は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m
※玄室とは、横穴式石室や横穴の死者を埋葬する墓室をいう
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「天井(巨石の部分)」
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一周してみます
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埋葬者は誰か?埋葬者としては蘇我馬子が有力視されていますが、確定は出来ていません
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花崗岩で作られた石組みです
石は古墳の側を流れる冬野川の上流約3kmの多武峰の麓から運ばれたそうです
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墳丘の周りに幅5.9~8.4mの空堀がめぐり、幅約7mの外堤が設けられています
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    最近、行ったスポットでこうした写真をたまに撮って貰うようになりました
    プロフィール写真を撮って貰うのが目的ではありません
    本来は自分だけの記念写真で、素顔がハッキリと分からないものをブログに載せているだけです
    以前にこうして写真を撮って貰うことが切っ掛けで、色々と話しが出来るツールになることが分かった
    からです・・・自分はおしゃべりタイプじゃないですが、誰とでも話せる特性があるようです(笑)
    ナンパ目的じゃないので、そこで写真を撮っておられる老若男女問わずです
    余談ですが、人生でナンパってしたことがないです・・・話しをして人を見極めないとダメな人なので(笑)
    この時は若い女性の2人連れで、向こうからカメラの話しをして来たので、カメラ談義でした
    最近,、そういうことで、その場限りのぶら散歩での一期一会の出会いが増えました
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                      石舞台古墳がある「石舞台地区」
         国営の「飛鳥歴史公園」は5エリアあり、総面積約60haあり、飛鳥の豊かな自然と
         文化的遺産の保護、活用を図る一環として、国土交通省によって整備されました

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                    公園と言ってもフェンスがある訳ではありません
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