大原 「来迎院(らいごういん)」を訪ねる



       あと、大原の寺院は今日の「来迎院」と「寂光院」です
       10~11日は別記事になりますが、12日からの京の都は雰囲気もガラリと変わります

         来迎院は、平安時代の仁寿年間に慈覚大師円仁が声明の道場として創建したのが始まりです
         山門の正面に庫裏(拝観受付)があります
    来迎院を中興した良忍上人は、比叡山で修業をしていましたが、山門派(延暦寺)と寺門派(三井寺
    の対立を嫌って山を下り、勝林院で声明梵唄を学びました
    その後、念仏と読経(声明)を切り離して、天台声明を統一して大原声明を完成しました
    さらに、融通念仏を創始しました

       ※京都には同じ名前の「来迎院(泉涌寺塔頭)」が東山区泉涌寺山内町にありますので、
         お間違えの無いようにお願いします

    

                           「来迎院(らいごういん)」

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本堂は、室町後期の天文2年(1533年)に再建されたものです
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        「薬師如来(やくしにょらい)」「釈迦如来(しゃかにょらい)」「弥陀如来(みだにょらい)」は
        それぞれ重要文化財に指定された、藤原時代の木造漆箔寄木造です
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       鐘楼の梵鐘は、室町時代の永享7年(1435年)藤原国次作で京都市指定重要文化財です
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「鎮守堂・獅子飛石・地蔵堂鎌倉時代の石仏)」
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「収蔵庫」
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「聖応大師・良忍上人三重石塔(国重文/鎌倉時代
               鳥羽上皇の勅願により河内に日本初の念仏道場を開きましたが、
               最期は来迎院で亡くなり、この場所の葬られました
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玉垣の中に三重石塔があります
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