大原 「来迎院」の参道を歩く



     先週、ブロ仲間だと思っていた男性が、ブログを去って行きました
     ゲスブに由るとコメントで荒らされて、ブログを続ける気力が無くなったので閉鎖してしまったと・・・
     ネットでは日常と違って顔が見えない一期一会の出会いであると思っているので、特にそのことに
     思いはないけど、そういった理由で止めて行くのは非常に残念です
     自分はブログを止めたいと思ったら、即止める心算なので逆にそれで続いているのかもしれません
     ブログをやっている人の動機や続けている思いは人それぞれではあるけれど、日常では絶対に
     出会えない人と話が出来るツールのひとつでもある訳だから、それを奪い取るようなことは止めて
     欲しいと心の底から思います



     三千院前のお店で食事を済ませ、来迎院に行ってみることにしました
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    良忍上人は、尾張国知多郡知多半島)の領主の子の出で、比叡山東塔常行三昧堂の堂僧となり、
    雑役を務めながら、良賀に師事、不断念仏を修め、また禅仁・観勢から円頓戒脈を相承して円頓戒の
    復興に力を尽くしました
    22~23歳の頃、京都大原に隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建し、分裂していた
    天台声明の統一をはかり、大原声明を完成させました

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来迎院へは三千院朱雀門のある石垣の漆喰塀脇の参道を行きます
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木かぶの苔を撮っていたトカゲが上がって来ました
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「勝手神社」
      「勝手神社」は三千院、来迎院、勝林院など魚山(ぎょざん)の守護神として崇敬されてきました
      三千院の寺伝によると、平安時代後期の天治2年(1125年)、良忍上人が声明道の守護神
      として大和多武峰より勧請したといわれています
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「蓮成院(れんじょういん)」
        通常は非公開の塔頭
        三千院境内に建立された塔頭の一つで、蓮成院は「北の坊」と呼ばれていました
        客殿は梶井宮最後の門主、昌仁法親王の仮御殿として三千院の中に建立されました
        昭和元年に三千院の宸殿を再建する際に、こちらに移築されました
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「浄蓮華院(じょうれんげいん)」
         承徳2年(1098年)、魚山声明の根本道場として建立された融通念仏本堂
         本尊は阿弥陀如来で、ほかに不動明王、観世音菩薩、地蔵菩薩が祀られています
         お勤めや法話に参加出来る他、希望すれば写経が出来る宿坊として有名です
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次回は「来迎院」です
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