旧・中山道の医王寺・落合大橋



       「木曽」を最初に入れたかったので順序が前後しましたが、前回の”落合の石畳”に行く前に
       その手前にある医王寺、落合の大橋にも寄ってみました

       今日はコメント欄を閉じていますので流して見て下さい
       明日から、馬籠宿に入って行きます



                     「浄土宗 瑠璃山 医王寺(るりさん いおうじ)」
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   「医王寺(いおうじ)」は元・天台宗名刹として栄えて、戦国時代兵乱に遭い法灯は一時中絶しましたが、
     天文13年(1544年)当時新興の浄土宗の寺として中興開山し、一般的には「山中薬師」と呼ばれます

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                           「山中薬師の狐膏薬伝説」
     昔、山中の医王寺の和尚さんが庭掃除をしていると、狐が苦しそうにしているのを見つけました
     足には大きなトゲが刺さっていたのです
     和尚さんが抜いてやると、狐は喜んで山の中へ消えました
     ある晩、戸をたたく音がして、そこにはこの間の狐がいて、助けてもらったお礼にと、よく効く膏薬の
     作り方を教えに来たのでした
     教わった通りに膏薬はとてもよく効き、早速、「御夢想 狐こうやく」という看板を掲げて膏薬を売ると
     村人はもちろん、遠くからわざわざ買いに来る人が絶えなかったといいます
     江戸時代刀傷によく効く狐膏薬を売っていたことでも有名で、十返舎一九の「木曽街道 続膝栗毛」
     に狐膏薬が出て来ますが、今も看板が残っています
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                       本堂に安置されている薬師如来天平時代の”名僧行基菩薩の作”と言われ、
                       三河の「宝来寺」、御嵩の「蟹薬師」と並び三薬師の一つとして住民の新興が厚い

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        中山道落合の宿の名物「狐膏薬」の当時の看板(下の賽銭箱の右側)が残されています
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    橋の名は、現在は「下桁橋」と呼んでいますが、当時の記録では、「落合橋・大橋」と呼んでいました
    この橋は、欄干があり、長さは30m、幅4.6m、両岸より材木で組上げた見事な橋と「濃陽徇行記」に
    あり、当時の落合宿を代表する風景の場所として広重の絵にも描かれているが、洪水での流失破損が
    度重なり、旅人の通行に支障が多く、湯舟沢経由の中山道付け替えの原因になった橋です

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馬頭観音(ばとうかんのん)」
観世音菩薩の化身で六観音の一つで、一般には馬の無病息災の守り神として信仰されていました
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「右 飯田道」
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「左 善光寺 御岳道」
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「右 神坂ヲ経テ飯田町ニ通ズ」
「左 山中薬師の弘法四十一番札所」
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「左が中山道 右が飯田道」
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