”木曽はすべて山の中です”~中山道・落合の石畳、新茶屋の一里塚



      「木曽はすべて山の中です」
      言わずと知れた、文豪・島崎藤村の名作長編「夜明け前」の、余りにも有名な書き出しです
      そんな中山道木曽路の馬籠宿(まごめ じゅく)に23日金曜日に行って来ました

      三河湾佐久島の海に行ったから、今度は山の中に行こうとしたのではありません
      それはたまたまであって、7月2日と4日の記事になりますが、ある目的があったからです
      今度の日曜日まで待たずとも、もう、プロフィール写真で明らかになってますね(笑)

      ということで、”馬籠宿”に行く途中に”中山道・落合の石畳”などにも寄ってみました


                            「中山道・落合の石畳」

     かつての信州国木曽の馬籠宿(現在岐阜県)から美濃国の落合宿に至る途中の、十曲峠の急な
     坂道を大雨から守るために自然石を敷き詰めて造られました              
     落合の石畳は、明治以降荷車の往来には不都合なため一部取り払われました
     昭和63年から平成7年の間に、旧状を留める3か所を含む約840mにわたり、長い間、木の葉に
     埋まっていたものを掘り起こし、石を敷き詰め復元されました
     平成17年には特殊舗装により遊歩道として整備されました

イメージ 1



イメージ 2


「落合宿(おちあいじゅく)」

イメージ 3



イメージ 4


江戸時代の旅人や物流の商人たちの足音が聞こえて来るような気がします

イメージ 5



イメージ 6


幾多の人々が、この石に腰掛けて休息を取ったことでしょう
イメージ 7



イメージ 8



イメージ 9



イメージ 10



イメージ 11



イメージ 12



イメージ 13



イメージ 14



イメージ 15



イメージ 19


落合の石畳から、少し上ったところに一里塚と新茶屋があります

イメージ 18


        幕府が街道を整備する時、一里(約3.9km)ごとに道の両側に土を盛った塚を築いて
        旅の行程や駄賃・運賃の目安とし、塚の上には榎や松の木を植えてその目印にしました

イメージ 16



イメージ 17



イメージ 20

                   現在、馬籠宿と落合宿の境にその1基が残っています

イメージ 21


イメージ 22


       かつては長野県木曽郡山口村に属しましたが、平成17年2月に馬籠宿のある山口村は
       越県合併により岐阜県中津川市編入されました
イメージ 25



イメージ 26


「新茶屋(しんちゃや)」
始まりは江戸中期で落合宿と馬籠宿の中間にあり、茶屋を営み、昭25年から民宿になりました
イメージ 23


イメージ 24


       タイトルに「木曽は・・・」と書きましたが、正確にはここの一里塚からが「木曽路」になります
イメージ 27



イメージ 29



イメージ 30



イメージ 31



イメージ 32



イメージ 33



イメージ 34



イメージ 28