”美濃の正倉院”と呼ばれる「横蔵寺」の紅葉を観に行きました



     横蔵寺(よこくらじ)は西濃(西美濃)の揖斐郡揖斐町谷汲神原にある天台宗の寺院
     山号は両界山、本尊は薬師如来で、西美濃三十三零場の第一番札所になります
     また、西国三十三所観音零場の最後(33番)の札所である谷汲山華厳寺の西方、さらに4kmの
     奥まった山間に位置しています
     国の重要文化財を含む多数の文化財を有しているために「美濃の正倉院」とも呼ばれる名刹です
     紅葉の名所でもあり、秋の行楽シーズンには特に多くの参拝客が訪れ、「横蔵寺もみじまつり」が
     開催されライトアップが行われています

     ここは延歴22年(803年))に伝教大師最澄が創建したと伝えられる寺
     創建当時の横蔵寺は現在地からさらに1.5km程、奥に入った円山の頂上付近にあり、現在地に
     移ったのは近世初期だと言われます
     かつて鎌倉時代には38坊を有する大寺院だったといわれますが、鎌倉時代 ~ 室町時代の寺史も、
     断片的にしか分かっていません
     というのも元亀2年(1571年)、織田信長の兵火で焼失したためで、現在ある本堂、三重塔、仁王門
     などの主要伽藍は江戸時代の復興です

          「横蔵寺」というお寺・・・
         ここ横蔵寺を信仰している、巡礼している方々、ミイラ寺として有名なのでその面で
         知っている方々以外ほとんどいないんじゃないでしょうか
         でも、あの全国的に知らぬ人がいない比叡山延暦寺・根本中堂の薬師如来立像が
         かつてはここ横蔵寺の元々の御本尊であったと知ったら、驚かれると思います

     織田信長比叡山焼き討ちによって延暦寺の伽藍が灰になった後、横蔵寺の本尊・薬師如来立像が、
     「延暦寺本尊と同じ霊木から造られた、最澄自作の像」という由緒ある像だということで延暦寺
     移されたとのことです(残念ながら、秘仏として公開されていません)

     ※下記の2枚目の「美術工芸品」に書かれています
       (滋賀県教育委員会滋賀県埋蔵文化センター文化センター発行)


     ちょっと長くなりますが、全国的には「ミイラのある寺」として知られています
     妙心法師(妙心上人)は諸国を巡って仏道修行をし、文化14年(1817年)、断食修行の後、今の
     山梨県都留市の富士山に連なる御正体山((みしょうたいやま、-さん)で即身成仏したという
     富士山信仰の御師の協力があったと言われます
     遺体は何らの加工もなく、自然にミイラ化したとされ、日本のミイラ仏の中では最も若いそうです
     当初は成仏した地で保存されていましたが、明治7年に山梨県庁が引き取り、その後は県病院で
     医学資料として保管されていたそうです
     明治23年に妙心法師の親族から即身仏の下付の嘆願や横蔵寺の住職の協力の元、即身仏
     妙心法師の出身地である今の横蔵寺に移されました


                                         横蔵寺にはHPがないので、下記をどうぞ
                       http://www.kankou-gifu.jp/spot/890/


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                  どれも拡大出来ます・・・紅葉が綺麗に見えるでしょうか?

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                                                     明日に続きます