織田信長の弟・信行が建立した「桃巌寺」の境内を歩く




    桃巌寺(とうがんじ)の山号は泉龍山で、名古屋市千種区四谷通にある曹洞宗の寺院です
    寺号は織田信秀織田信長の父)の法名である「桃巌道見大禅定門」からとられています
    天文年間、末森城主であった織田信長の弟の織田信行が父・信秀の菩提を弔うために城の南に
    位置する、現在の千種区穂波町付近に建立し、その後、現在の松竹町に替地となり、正徳4年
    (1714年)に現在地に移転したと言われます
    開山は快翁玄俊で、恵心僧都作とされる聖観世菩薩像を本尊とし、信秀が所有していたと伝わる
    辨天画像や竹生島から勧請した十五童子象を守護神として祀っています


   ※織田信行(おだ のぶゆき/古文書資料では信勝)とは?
    母は土田御前で織田信長と同母の弟になります
    信長がうつけと言われていた頃、信行は品行方正で母・土田御前は信行を可愛がり、夫・信秀が
    亡くなった後、末森城で信行と暮らしていました
    斎藤道三が亡くなった後、織田信長への後ろ支えが無くなった機会を捉え、織田家の家老の林秀貞
    柴田勝家らを味方につけ、信長に反逆し、戦いを挑んだが敗北し、末森城に籠城した
    母・土田御前の取りなしによって信長に赦免されましたが、その後、再び反逆の考えを持った時に
    柴田勝家の裏切りで信長に通報され、勝家に信長が病気だから清州城に見舞いに行ってはどうか
    と謀られ、清州城内で暗殺されました
    
    因みに信長、信行の母・土田御前の呼び名となった土田氏説である土田氏が美濃可児郡土田で
    あれば、「どたごぜん」、尾張清洲の土田であれば、「つちだごぜん」となりますが、生誕には色々な
    説があり、一級資料に出て来ないので確定されていません
    美濃可児郡土田とは我が街である現・岐阜県可児市土田(どた)のことで土田城史跡もあり、昨年、
    土田御前の像が誕生しました


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   本堂の中には性に関する秘宝や裸弁天、歓喜仏、日本一と言われる直径1mの木魚がありますが、
   他に参拝者が居なく静寂過ぎて、今回は本堂内部に上がりませんでした
   また、1年に2回ご開帳される「ねむり弁天」でも知られます
   信秀御廟など見落としたものもあるので、次回には何故?大仏さまが緑なのか?も聞きながら、再度
   行ってみようかなと思っています
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ここの右下の道を下りると名古屋大仏が鎮座します
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