青塚古墳にまつわる蘭丸の兄・森長可公の青塚砦
築造の前方後円墳といわれます
愛知県2番目の大きさ(円墳長約123m、高さ約12m)で、昭和56年に国の史跡に指定されました
また、大縣神社では邇波県君(にわのあがたのきみ)の祖である大荒田命(おおあらたのみこ)の墓として
伝承していて、ご祭神としていて毎年中秋の名月に近い夕刻から日没に掛け、ここの場所で「墓前祭」が
執り行われています
大縣神社からは7kmの場所にあります
ここは古代ロマンと戦国期時代の両方が漂う遺跡です
長可の義父であり、次男の輝政は播磨姫路藩の初代藩主で今の姫路城に大改修した)から使者が来て
その時の出で立ちは、緞子の直垂に白の腹巻、草摺を長く着付け、五枚重ねの錣の兜を猪の首に被り、
小手・脛当は金の鶴丸(森家の家紋)を刻んだ三分の鉄でこしらえたもの
三尺二寸の大太刀と二尺七寸の刀を十文字にして腰に差し、鷲の羽根で作った矢を背負い、重藤の弓の
真ん中を持ち、海津黒と呼ばれる七寸三分の逞しい金覆輪の鞍鐙という姿だったと書かれています
出陣から23日後の4月9日に長久手の地で井伊の鉄砲隊に馬上で眉間を討たれ討ち死にします
行年27歳でした
長可の男兄弟6人(可隆、蘭丸、坊丸、力丸、忠政)のうち、忠政だけが生き残り、津山藩18万6000石の
津山城主となりました
この出陣の際、死も覚悟して、遺言状をしたためています
「まほらの館」・・・まほら?とが素晴らしい場所のこと
多くの古墳があります
この青塚古墳史跡公園ガイダンス施設には、これらから発掘された出土品の鏡や陶磁器などが展示
されています