日本一の無縁寺と言われる「回向院(えこういん)」+鼠小僧の供養墓



     回向院は、今から360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土真宗の寺院です
     ”明暦の大火”の焼死者10万8,000人を当時の将軍・徳川家綱の幕命によって作った”万人塚”が
     始まりで、のちの”安政地震”はじめ、水死者や焼死者、刑死者など横死者の無縁仏も埋葬した
     ことから、その数から日本一の無縁寺と言われます
     正式名は「諸宗山 無縁寺回向院」で、墨田区本所地域内に所在することから「本所回向院」や、
     「両国回向院」と呼ばれます

    天明元年(1781年)以降にここ回向院の境内で勧進相撲が興行され、これが今日の相撲の起源と
    なったと言われ、明治42年に旧・両国国技館が建設され、興行をしていました
    国技館建設までの時代を「回向院相撲」と呼ばれます
    

         荒川区南千住にも「回向院」があるので、お間違いなく・・・
    こちらは江戸時代に大和田刑場、鈴ヶ森刑場と共に三大処刑場と言われる小塚原刑場と言われた
    処刑場で明治初めまであり20万人が処刑されたと言われますが、慶安4年(1651年)に両国の
    回向院の住職が刑死者を供養するために常行堂を創建したことに始まり、別院でしたが、現在は
    独立して、「豊国山 回向院」となり、「小塚原回向院」と呼ばれます
    こちらは、安政の大獄吉田松陰などの刑死者や桜田門外の襲撃者などの墓もあります



「回向院(えこういん)」

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現在、本堂などはコンクリート造りの建物になっています
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右端が、明暦大火の供養塔です
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   ここには鼠小僧の供養塔があります
   鼠小僧は架空ではなく実在の人物で、江戸時代後期の化政期に大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯で
   本名は治郎吉です
   当時、北町奉行・榊原忠之の尋問に対し、10年間で荒らした武家屋敷95ヶ所、839回で盗んだお金は
   三千両と供述したそうです
   三千両とは、江戸時代の一両は10万円とされますが、江戸後期では5万円
   つまり、現在にして、1億5千万円の盗みをしたのでした
   伝馬町から日本橋、京町まで、江戸引き回しされ、小塚原処刑場で処刑されました
   引き回しの際、見物人で道中、人で溢れ大変な賑わいだったそうです
   特に有名な罪人だった鼠小僧には美しい着物が着せられ、薄化粧をして口紅までしていたのです
   背丈は5尺に満たなかったそうで151cmの小柄です
   大名から盗んだお金を庶民に配った義賊は嘘で、大半は賭博や女、酒に浪費された
   何故?義賊的に言われるかと言うと大名屋敷からということで庶民の憂さ晴らし的な存在でもあり、
   歌舞伎などにより、義賊イメージが浸透しました

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    供養塔に前に置かれた「御前立ち」と呼ばれる石があります
    これは昔より、鼠小僧が長く捕まらなかったことから、勝負運や金運があるとされて、パワースポット
    として人気となり、お墓の石を削る者が続出したために代わりに置かれています
    前に置かれた小石は削るためのもの
    現在までに400個以上の石に交換したそうで、如何に削る人が多いのか分かります
    そういう自分も前回、遠慮気味に削った石が運を試すことなく、いつの間にか行方不明なっ
    しまったので、今回も運にあやかろうと削って来ました(笑)    

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行った時も後から来られた女性が密かに削っていました
前回の時、出会った男性はこの削った石を持って宝くじが当たって家を建てたと吹聴していました

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ここは犬猫などのペット供養でも有名です
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