”神田明神”で初詣をする


      昨夜、テレ東(こちらではテレビ愛知岐阜放送)の「出没!アド街ック天国」で、偶然にも4日前に
      行ったばかりの今日の記事の”神田明神”を放映していました(笑)
      行った所を後日に放送があるというのはたまにありますね


      3日は小江戸・川越まちめぐりをし、最後は神田明神で初詣をしました
      川越でも何か所かの神社寺院にも行きましたが、参拝はしていませんでした
      学生時代を過ごした学び舎から、聖橋を渡って近く、友達とも良く行った場所で、今年自分自身の
      変革を求めて行くという意味で、青春時代の原点からということで、いつもは犬山の成田山に初詣
      することが多いのですが、今年はここでと決めていました



        学生時代には「御茶ノ水駅」が最寄りの駅でした
        変わらないこの駅や聖橋に立つといつもここで過ごした青春時代の想い出が蘇ります                  
        もう、母校は郊外に移転してしまって、今、また都内回帰の計画が持ち上っているようです
             
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友達との待ち合わせに使っていた神田川に架かる「聖橋」
神田明神はここから徒歩で3分(310m)のところにあります
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   聖橋は、「三線交差」の撮り鉄で有名な所です
   この時は重なりませんでしたが、今、下が地下鉄メトロ丸の内線、右が御茶ノ水駅でJR中央線の列車が
   見え、列車はありませんが、その右を走るのがJR総武線です
   眼下の神田川正面奥に見えるビル群が、秋葉原です
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     聖橋の上の写真の反対側には東京医科歯科大学と附属病院、左奥には順天堂大学が見えます
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神田明神の大鳥居」
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  一般的には「神田明神(かんだみょうじん)」の名で知られていますが、正式名称は「神田神社」です
  神田、日本橋秋葉原、大手丸の内、旧神田市場築地魚市場の108町会の氏神様です

  天平2年(730年)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(神田という地名由来と言われる)により、
  大手町付近に創建されたそうです
  その後、平将門を葬った将門塚周辺で天平地変が頻発し、祟りとして人々が恐れたため、神田神社
  合祀されたといわれます
  元和2年(1616年)に江戸城の表鬼門守護の場所としてにあたる現在地に遷座し、江戸幕府によって
  社殿が造営されました
  以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府は元より江戸庶民に至るまで篤い崇敬を受けるように
  なりました

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「隋神門」
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右が「豊磐間戸神」
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左は「櫛磐間戸神」
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「手水舎」
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神田明神に行ったのは3日の19時半で意外に空いていましたが、下記の記事では4日の仕事始めは凄い人

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「御神殿」
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「祭祀殿・資料館」
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鳳凰殿(神札授与所)」
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「祈願串」
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「石獅子(獅子山)」
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「祭務所」
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「神楽殿
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「だいこく様尊像と御百度石」
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石造りの「だいこく様尊像」としては日本一
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「えびす様尊像」
正面左の波に乗る金色の像がえびす様です
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「おみくじ結び」
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「水神社(魚河岸水神社」
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「浦安稲荷神社」
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「鳳輦神輿奉安殿」
神田祭神幸祭に出される神社鳳輦・神輿2台が保管されています
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「末廣稲荷神社」
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「祖霊社」
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「國學発祥の地」
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銭形平次の碑」
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男坂
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女坂もありますが、今回行っておりません
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