織田信長の天下取り野望の推進経済の地・津島湊(現・天王川公園)



  津島神社に近いところにある津島湊跡である現在の天王川公園にも寄りました
  大正9年(1920年)に開設された公園で公園の中央にある楕円形の池「丸池」は、かつて町の中を流れて
  いた佐屋川の支流・天王川の名残りで、津島湊として隆盛を誇ったが、江戸時代にはには土砂の堆積が
  進み、天明5年(1785年)川をせき止めて入江とし、今の池は当時の入江部分に相当します
    

  津島は鎌倉時代の紀行文「海道記」に「市腋(いちえ)を立ちて津島の渡しという所を舟にて下れば・・・・」と
  いう記述があるように既に東海道の交通の要地であったことが知られていました

  戦国時代、まだ斯波家の家臣であった織田本家の一族に過ぎなかった勝幡(しょうばた)城主の織田信秀
  その子・信長はこの地の有力者と結んで、その経済力を背景に戦国の世に台頭して行きました
  名古屋の熱田湊の2つの交通の要衝を押さえたことにより、天下布武への足がかりの場ともなりました
  当時は尾張と美濃の中間地点の川と伊勢湾を結ぶ大貿易港でした
  今は池ですが、現在流れている川までは埋め立てられ、公園の他、住宅地や道になっています
 
  ここでは、600年余りの歴史を持ち、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている尾張津島天王祭が毎年
  7月下旬に開催されています


                            「尾張津島天王祭」
             http://www.city.tsushima.lg.jp/shokai/matsurikyoudo/tennoumatsuri.html    


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