学生時代の想い出の地を歩く



    今日は4月5日のぶら散歩記事です   

    千鳥ヶ淵の桜が素晴らしいので行こうと思いましたが、上野公園、井の頭公園で堪能したし、この日に
    帰る心算で、出来るだけ東京駅に近い所にいようと、想い出探しと改めて自分の人生を見直すために
    今の自分の原点のひとつである、お茶の水駅界隈を歩いてみました

    ここは自分にとっての青春時代のある時間を過ごした聖地のひとつです
    今は東京郊外に移転していて、その跡地には三井住友海上駿河台ビル群が立ち並び面影は大学の
    記念館があるだけで、微塵も残っておらず、自分が通った学び舎は記憶の中だけに存在しています
    でも、一部の変わらぬものを除いて学生時代の風景とは変わっていますが、その時の青春の記憶の
    光景が自分の人生の中で流れて行った時間を引き戻し蘇って来るので、時には来たくなるんでしょう

    大学時代を過ごしたのが、千代田区神田駿河台、駅でいうとJR御茶ノ水駅、千代田線新御茶ノ水駅
    そういう訳で、田舎もんである美濃の国の住人でも東京、関東を間違いなく歩けます(笑)
    多分、青春時代を東京で過ごし、卒業後も少なくとも年に1~2回は行くので、都会の価値観を身に
    付けたマントを持つことになって、臆することなく、どこでも歩き回れ、誰とでも話せるんでしょうね


    神田(かんだ)、駿河台(するがだい)、御茶ノ水(おちゃのみず)の地域名の由来は下記をご覧下さい
                 http://www.ryumeikan-honten.jp/blog-location.html


    私メの学生時代の哀愁の想い出巡りに付き合っていただくのも申し訳なく、1回で終わろうとしていて
    今日は少々ロングランになっております
    それでも、もう一つ神田明神を入れ切れなかったので、22日から2~3回で別に記事にします


    前半は総武線新小岩江戸川区)から、後半は京王線仙川(世田谷区)、中央線で、通学していました
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                           「JR御茶ノ水駅・聖橋口」
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                         「JR御茶ノ水駅・御茶ノ水橋口」
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             御茶ノ水橋の向こうには、右側のビル群が東京医科歯科大学と大学病院
             真ん中から左のビル群が順天堂大学です
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                       御茶ノ水橋から見たJR御茶ノ水
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          仲間とよく行った「名曲喫茶ウィーン」・・・店内にクラシック音楽が流れていました
          今は違う店舗が入っていて、当時の喫茶店ではないけど、外観はそのままです
          三島由紀夫が通った「画廊喫茶レモン」や神田本屋街にある「さぼうる」は健在
          今は無くなってしまったけど、「喫茶滝沢」、「名曲喫茶丘」にもよく行きました
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               御茶ノ水御茶ノ水口を出た、明大通りは楽器店のメッカです
               この通りを前方に歩いて行けば、神田本屋街になります
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                    マリオカート5台が目の前を通り過ぎて行った   

                少し東に戻ると、唯一残っている大学の記念館(大講堂跡)
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                 学び舎の跡地には三井住友海上駿河台ビル街があります
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                       正面の木の向こうに白門がありました
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                御茶ノ水駅寄りの跡地にも三井住友海上のビルがあります
                右側に文学部、左側は法学部、経済学部、商学部学舎でした
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                      隣りは日大の理工学部と歯学部キャンパスでした
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                      白門の目の前には、太田姫稲荷神社
    太田姫稲荷神社は、太田道灌の娘が重い疱瘡に罹った際、小野篁が創建した京都一口稲荷神社
    勧請し、江戸城本丸内に長禄元年(1457年)創建したと伝えられ、道灌は後、当社を江戸城鬼門へ
    移しましたが徳川家康入府後、神田駿河台裏側の大坂へ遷座、坂は一口坂と呼ばれ、神田駿河台
    の鎮守となったといいます
    昭和6年、総武線延伸工事の際に、当地へ遷座しました
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                      ぐるっと半周して、御茶ノ水駅方面へ歩く
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                      通称・ニコライ堂(東京復活大聖堂教会)
                           http://nikolaido.org/
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         日本ハリストス正教会の聖堂で、ギリシャカトリック大主教カサーツキン・ニコライが
         明治24年(1891年)建立したもので、以来、ニコライ堂の名で呼ばれて来ました
         建物はロシアの美術家シチュルポフが設計、J・コンドルが修正して完成したもので、
         平面はギリシャ十字形のビザンチン式、煉瓦造の建築で中央ドームの高さ約38m
         ほかに尖塔状の鐘楼がついています
         現在の建物は関東大震災後、昭和4年に修復されたもので国の重要文化財です

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                    学生時代はニコライ堂前の道を毎日通っていました
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御茶ノ水側から見た湯島聖堂…右端のビルの横近くに神田明神があります
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             友だちとよく待ち合わせに使った聖橋は年内補強工事中とのことでした
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          聖橋から見る、3線=総武線(上)、中央線(中央)、丸ノ内線(下)が交差します
          正面のビル群が秋葉原電気街・・・今やアイドルの聖地です
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               鉄道ファンの方々には有名なスポットで、待ち構えること5分・・・
               3線電車がクロスしました・・・とてもラッキーでした
               地下鉄・丸ノ内線は、唯一ここでは地上を走ります
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     湯島聖堂は徳川五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため、元禄3年(1690年)湯島の地に
     聖堂を創建して、上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移したことによる
     その後、およそ100年余を経た寛政9年(1797年)に幕府直轄学校として、世に名高い
     「昌平坂学問所(通称「昌平校」)」を開設しました
     明治維新を経て大正11年(1922年)湯島聖堂は国の史跡に指定されたが、翌年(1923年)
     関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残しすべてを焼失してしまい、復興は昭和10年、
     寛政時代の旧制を模し鉄筋コンクリート造りで再建を果たしたものです


                          「湯島聖堂(ゆしませいどう)」
                           http://www.seido.or.jp/
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                   湯島聖堂は聖橋を渡ってすぐ、文京区になります
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                 ここの階段でも、友人たちと色んなことを語り合いました
                 
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                       この湯島聖堂も溜まり場のひとつでした
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     大成殿は土日、祝日に扉が開けられ、内部公開されます・・・この日は平日で見られませんでした
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           変わらぬものを見ているとまるで自分の時間だけが進んでいるように感じます
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