針網神社・三光稲荷神社・猿田彦神社へ参る

 

  犬山祭はこの針綱神社の春の例祭として、執り行われます

    針綱神社の創立年は不明ですが、延長5年(927年)の延喜式神明帳所載の式内社で本国貞治本には
  正一位明神又同元亀本には正一位針綱明神とあり、古来より東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除け、
  安産、長命の神として、尾張五社として、濃尾の総鎮守でした
  元々、鎮座地は犬山城天守閣付近にありましたが、天文6年(1537年)に織田信長の叔父である当時の
  犬山城主であった織田信康が白山平に移転させ、慶長11年(1606年)犬山城下町の名栗町に移転し、   
  その後、再々移転となり、現在に至ります

    7日の夜はこの針綱神社の前に北組の6両の車山が勢揃いで、動きが取れないほどの人々が押し寄せ
  ますが、21時半過ぎになると神社境内も静けさを取り戻します
     
                         
                         「針綱神社(はりつな じんじゃ)」
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三光稲荷神社(さんこういなり じんじゃ)」

   三光稲荷神社の創建時期は不明ですが、かつては三狐山(三光山)に鎮座し、犬山城主の織田信康
   保護を受けていたという
   江戸時代以降、犬山城主・成瀬氏の守護神とされました
   神仏習合で三光寺とも称していましたが、明治初期の神仏分離により三光稲荷神社となりました
   昭和39年に現在の位置(針綱神社の西側)に移転しました

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            ここ1、2年はこのハートマーク型絵馬がSNSで度々紹介され、若い方々が
            絵馬に書き、その自分の絵馬の前で写真を撮る光景がよく見られます
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猿田彦神社(さるたひこ じんじゃ)」
        猿田彦大神を祀る猿田彦神社は犬山猿田彦神社ともいい、三光稲荷神社境内社
        独立した存在ですが、社務所でも三光稲荷神社猿田彦神社を併記しています
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21時半過ぎに人影の少なくなった古い町並みの道を帰って行く車山に出会いました
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      年に1、2度しか見られない光景です
      ここ”どんでん館”に通常3輌の本物の車山が展示されていて、帰る時に丁度、運行が終わり
      収納している場面に出会え、ラッキーでした
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「どんでん館」

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交通整理の地元の人の法被をパチリ
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帰りの名鉄電車内の犬山祭の吊り広告
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